あたいが白虎たい。64

e0024a88.jpgかれこれ、1週間になります。ようやく我が家にも慣れてきました。今日はクリスが夕食を作ってくれるそうです。ジャガイモ、玉ねぎ、人参、小麦粉、などなど、しかしアニメのテレビを見ながらつくるのでなかなか進みません。おなかがペコペコになりました。われわれによってジャーマン団子と命名されたその料理は、じゃが芋と小麦粉を練りこんでつくったちょうど卵ぐらいの大きさのボールで、ゆでてあります。それに、オニオンでつくったソースをつけて食べるのですが、僕と侑ポンはバーターをつけるほうがおいしいような気がしたので試してみました。クリスはケゲンな顔をしてみています。まるで、「僕の料理になんてことを」という感じです。2個食べるのがやっとです。世界は広いということ、我慢すること?を子どもと話しました。

山野文福のヒソヒソ話43

開始前

久木原地区の子供会による、子ども地元学のスタートは6月2日(土)のホタル見学会場(水車公園)のガードレールの掃除からはじまりました。およそ、200mの長さがあります。初めての取り組みに子供達も不安でしょうが、ホタル会場からスタート地点まで歩いて行きます。

ホタル祭りなど実施している上陽町は自然豊かな所ですが、子ども達が誇りがもてないまま沈黙のように時が流れていくのは何故でしょうか?私もそうでした。誇れるものがあるのに表現できない。ただ、都会の憧れだけで、疎ましくこの風景を見ていました。さて、子ども達が自分の地域を見つめ直し少しでも誇りが持てるようになるために、美しい景色を残す作業をやってみることにしました。子ども達はこの川添いをバスに乗って学校へ行きます。きっと自分達の掃除したガードレールを見ながら他の地区のガードレールと比べるでしょう。そのときに自分たちのした行為の意味と重要さがわかるでしょう。『庭は住み手の実力以上にはならない』と書いてありました。なるほどと思った私は、反対に、地域に美しい風景を造れば子ども達の実力《意識》が上がるのではと考えた訳です。そこのところに『住み手の実力と子ども地元学のつながり』があるように思います。夏休みが終わるまでに久木原地区のガードレールを清掃します。

頑張る1

全員が雑巾で拭き上げていきます。ガードレールというのは下半分は簡単に汚れが落ちるということもわかりました。上半分の汚れをいかに簡単にすばやく落すかで作業時間のアップがはかれることもわかりました。

『おっちゃ~ん。おわったらラムネ飲んでよかろ?』

頑張る2

大型の動噴と2トントラックを近所の方から借りて洗浄します。子ども達も自分のできるところを分担しているようです。

 

 

きれいな風景

半分にまだ届きません。しかし、とても美しいです。

 

 

 

記念写真

ようやく、作業終了。1時から開始して3時15分までかかりました。結構みんな喜んでいます。

『ラムネ!ラムネ!ラムネ』の大合唱

わかった。わかった。良く頑張った。『飲みに行くぞ』

 

 

 

山野文福のヒソヒソ話42

ヒソヒソ話。先日、とある2つのまちにわらべ館の取り組みを紹介にいった。最初は大きな庁舎の中での話し合いであった。40分程の話し合いを終えて、気分は重い。自分の説明が悪いこともわかる。色々な切り口で説明をした。というより、なかばあきらめていた。説明しながら接点はどこだろうか?探りあいに疲れた感じ。午後の約束のため、高速に乗り北へ。潮の匂いのする学校についた。話し初めて直ぐに共通項がみつかった。同じ目的を共有していることも感じとれる。お互いがより深い共通事項を探すためにあゆみ寄ろうとしている。さっきとは全然違う。 何が違うかといえば、午前中は我々の提案、やっている、やりませんか?ということに対して『わかるけれど、できないことの理由探し』。

体験の向こうにあるもの

午後からの訪問先は、『やるための理由と方法と可能性という展望探し』 このような話をしながら、帰りの車でまた一考。受け入れてもらえないところに現代の歪みがあるのだろう。歪みを直そうとしている人にはわかって、歪みのない教育をめざしているところには蛇足的にしか映らないのだろうか?PTAのPが感動しても教育理論に反映しないのは悲しいことです。遊んだ子どもだけが伸びていく。そんな積木遊びでした。

あたいが白虎たい。63(新入りの巻)

栗栖『おいコラ!お前。新入り!俺の竹輪よこせ!』 「oh!no.」 『早く、やれーよ!くうなよ』 「www~ねこっ!hungry?」 『がぶりっ!!モグモグも具!!もっと~』 「oh!little tiger」 『次!つぎ!早くやれよー!新入り~~~!かみつくぞ!!』

コメントに質問がありました。

ニャーのエコンザイムはかえる、ねずみそれから~?

お答えします。昨日家の草取りをしておりました。傍でくっつくように寄り添う。これは草の下から出てくる獲物をまっているのです。そのとき産まれたばかりの、15cmばかりの紫色の蛇が出てきました。『おう!遊び相手だ!!』 鼻先でつつくこと10分。見るに見かねて逃がしてやりました。残念そうに下の畑を見つめる「食うにはものたらんなア~」 「くわんでんよか!」 傍らで待ち構える、と思いきや、傍にいません。何やら足で押さえて踏ん張っています。「何、もっとると?」 「わう、わわ、わあ、わわわ」 「蛇やんか?つかまえたと?」 赤茶いろの50cm位の蛇を押さえつけながら逃げられています。「逃がさんね、金の貯まらんよ」 「ウグううっぐう^^ぐぐ」口にくわえて引き戻しました。「にゃー!!」 くわえて逃げようとするニャーを押さえつけて無事金ズルは逃げていきました。その草むらをもったいなさそうに匂いをかぐにゃー。今朝からはスズメをくわえて見せに来ました。「にゃー!! もう死んでいるようです。Uターンして直ぐに出て行きます。獲ったことを見せれば良いんです。どうしてネコはそのような行為をするのか誰か教えてください。

窓ガラスの向こうを、ゆうゆうとくわえて歩いていきます。水の流れていない小さな水路の中にうずくまりました。 ナンマイダ。

 

 

山野文福のヒソヒソ話41

森伝蔵 山野文福の忘れていたアメガタの話です。アメガタを売りに来ていた行商のおばちゃんが一斗缶から透明の紙に包まれたアメガタを何枚も掘り出していました。

のぞき込むとノコクズの中に埋まっていたのです。ノコクズにしては色が違うなと思っていたのですが、子どもの考えですからそんなものでしょう。しかし、前回もアメガタの話を記憶に頼り語りましたが、このノコクズに関しては、森伝蔵商店に電話をしました。

「もしもし。ふるさとわらべ館の館長 山野です。いつもお世話になっております。」 「あ~。はいはい。こちらこそ、いつもあがとうございます。」 「実は、アメガタのことについてお尋ねしたいことがあるのですがいいですかね~?」 (だんだん、方言なまりが出てくる) 「は?何かありましたでしょうか?」 「え~とですね!一斗缶の中にはいっとる、ノコクズんごたっとがあっでしょうが、ありゃ、いったい何ですかね?」 あー。あれは米ぬかですよ。米ぬかを炒ったものです。昔からずーと今も米ぬかを使っとります。」 「こどもん頃、おばちゃんが一斗缶に入れて売りにきてあったですもんね。ノコクズの中に何枚もアメガタのうまっとった記憶のあるとです。子どもやけんノコクズしか思いつかんとですよ。聞いて安心しました。ありがとうございました。また、宜しくお願いします。」 「はい。はい。こちらこそどうぞ宜しくお願いします。」

写真は丸森のもち飴、棒飴、八女茶飴です

あたいが白虎たい。前倒し62

あそこにおる 皆様からの励ましのメールやコメントありがたく読ませて頂きました。 ネコが一緒に散歩するのは不思議なことではないと思いますが。家族で散歩する時には必ずついてきます。1キロぐらいの往復ですが。

 

『あそこにおるばい!」 「どこどこ?」 『しめしめ。さっきからすでに捕獲体制にはいっておるわ。」 「つかまえんね!」 「はいられんけん、こっちに追い出せ。」 『馬鹿門が、カエルがお前達の結うとおりになるわけが無かろうもん。カエルにも5部の農味噌があるとぜ~』 (カエルにも5gの脳みそ と表現したかったらしい。) 「あっちに逃げよる。」 「まだまだ。もう少し足場がよくなってから。がまんがまん。お前らよりあたいの方が速いけん、余裕対」 『草の方にいったぞ。大ちゃんつかまえんね。』 「かえるは触りたくなかもん」 「はよせんと逃げるばい」 『ピョーン!パクッ!お前達はそれでも子供課?カエルもつかまえきらんで。』 「にゃーが捕まえたぞ。にゃー俺にやれー!」 『蝶獣保護地区倍どっかに逃がしてやらんば』 「そげな保護地区はなか!誰がつくったつか?お前が食べよるエコンザイムはどげん説明すっとか?」

あたいが白虎たい。61

お昼ねとなy「昼寝の時間ばってん全然寝られん倍」 「何か新入の奴が来るらしい。そ源が華しょった倍」 「あたいがあんまりエコンザイムばっ刈りとってくる軒気にイランとかなア』 「侑ポンのランドセルに歯型をつけたり、ハンドバッグの中を毛だらけに詩取った津画いかんやったつかな」 「仏壇の供え物をひっくり返し立つが遺憾やった可奈』 「留守番はちゃんとし夜件よかろうもん。」 「わかった!この前、のチーズたらを食い散らかし獲ったつがばれたかな」 「座敷の入れ替えた襖に爪を立てたのがばれたかな」 「新入りがきたら、ギャフンと言わしてやる。ネコは顔の大きさで決まるから、こき使ってやる」

いやいや、いじめはやめるか、今日行く再生会議になどで問題になればあたいもここを追い出されるかもしれん、おとなしく様子をみてやるか。あたいのくいぶちが減るのはこまるなア、まずい、ご飯も格下げでいやだなア。エコンザイムで栄養補給も秋田市なア」「やっぱり、寝られん倍、狩にいってくーかな?」

あたいが白虎たい。60

『みんなと道草する野たの鹿倍』 『見つけるのは負けるばってん、捕まえるのはあたいのほうが上手倍』 「当たり前やろもん。おまえはネコやんか。」『兄妹やけんそげな違いは無かろうもん』 『全然違うばい。ニャーには言うてもわからん、学校にいきょらんめーもん』 「あッ!カエルだ!」 『どこ?どこ?ほんとだ捕まえろ。」 『(ピョーン)。つかまえた。』 「でかした。ニャー。おれにやれ。」 『イヤだね!自分でつかまえんね。ピューッ!!(走り去る)』 「ニャーがカエル持って逃げたぞ~。捕まえろ」 

観察中 『お前達なんかちがうっちゃない!」 

子どもにとって道草とは「おまけいっぱいの道」をさがし、楽しむことであります。 「おまけ」という感性をなくさないことを子どもに望む親の気持ちも大事でしょうが、さらに読み解いて欧米化の価値観に対するモノサシにしてほしいものです。  大きな世界に出て行く事がいかにも素晴らしいことのように表現される現代に生きて、そこら辺りに見守る、育てる、関わりあうをもつ、大人の役割りもあるのではないでしょうか?地域(景色)が人を育て、心を育てる。子ども地元学は6月のガードレールの清掃からスタートします。白いガードレールの景色を焼き付けて育ってほしい。自分達が地域の景観を守っているという意識を持ってほしい。そういうところから「個」も変わるのではないでしょうか? 

堅苦しい話になりました。次回はアメガタの続きにします。

あたいが白虎たい。59

学校にはいかれんぞ侑ポンとの兄妹喧嘩のあとは学校へ行く準備をしています。これは教科書がちゃんと間違いなく入っているかニャーがチェックしているところです。

『このまま、学校に連れて行ってくれんね』

『何場いよっとかジャン。毛のつくやんか。はよ出らんか』

『この狭苦しいところがよかっちゃんね。昔はすっぽり配慮っ田語たるばってん』 

『入れていって、学校に連れていかんね。』 『いやッ!』

「我が家はこのニャーのおかげで随分変わった。ネコがこんなに賢いとは思わなかった。捨て猫の中の一匹を貰い受けたが、当時、家で1人で留守番をしていた年老いた父の話し合い手と添い寝の役目で父も随分元気をとりもどした。名セラピストというべきものか、また、ネズミがいなくなったことも確かだ、よそのうちの分まで捕獲せんでもよかろうにと思うが、習性は仕方がない。父の一周忌にはみんなの横をゆっくりすり抜けて坊さんの横にどってり坐りお経を聞いていた。提灯にいたずらしないか心配だったが見事お盆中は無傷のまま仕舞うことができた。掛け軸などはあれほどいたずらしていたのに。わかっているとしたら恐ろしいことだ。     私に対する態度と他の家族に対する態度は違う。ネコの中では位がついているようだ。1番尊敬されているのが、私。友達のように思われているのが侑ポン。家内は完全になめられていて、カミツキ、飛びかかりの的になっている。散歩はどこまででもついてくる。つかず離れずついてくるが、どうして自分達だけで行くのか?という感じだ。自分で道草して(獣道などに侵入する)姿が見えなくなると、泣き声を上げてさがしている。犬がいるところは人間の近くにより、いないところは離れて歩く。鎖につながれている近所の犬の前などは相当なめられている。狂ったように吼えまくる犬の1mほど前を「あばよ」である。あれだけ吼えられると人間でも怖いのに。一体、ニャーお前は何なんだ。

中川原という地名が近所にある。この前道草で子供達が廻ったところだ。もちろんニャーも一緒だったらしい。侑ポンが川が二つ流れて間に島ができたので中川原の地名になったのではと質問してきた。この前、「どうしてこの地名になったかしっているか」ときいたら、昔、中川原治部という人の領地だったからと自分で説明しよったのに今日は、新説かい。 「中川原治部がすんどったっちゃろもん」 そうかそうやった。「何ですんどらしたと?」 「治部は昔の・・・」 「それば今度調べるっちゃろ」 「そう、子ども地元学たい。」 「おまけいっぱいの道草ばい。」 「足元を勉強せんば、比べるものがなかろうが、自分がどこの誰で、どんなところに住んでいて、どんな歴史や暮らしが営まれてきたのか、自分の周りを埋め尽くすことは大事っちゃないと。田舎には何もないじゃなくて、田舎には何があるか、調べることはきっとためになると思うけどなぁ」 「僕、みんなと頑張る」